
『生まれてはじめてみたもの』PARTⅢ掲載しました

生まれてはじめて見たもの PARTⅢ 2014.11.11
ひたすら坂の上を見ながら駆け上り、駆け上り、そして駆け上る。いつまで続くともしれないハードな坂道。それを乗り越え、好成績を残した者は尊敬をこめて「山登りのスペシャリスト」と称えられる。
しかし、一方このハードコースで、ブレーキを起こした才能あふれる選手も数知れない。これまで幾多のスペシャリストと落伍者が現れ、数々ドラマを生んだのがこの5区なのだ。
しばらくすると。
観客が騒々しくなった。
高畑一家の隣にいる、ラジオを聞いているおじいさんが、「もうそろそろだぞ」とつぶやいた。
博も、握っている手のひらが汗ばんできた。
先行車が、もうすぐランナーがくることをアナウンスしている。一瞬あたりが静かになった。
博は、体をこわばらせて、ランナーを待ち構えた。背伸びをするがまだ見えない。
数分、間をおいて、坂の下の方から地響きのような声援が博の耳を刺激した。まだ見えないが、近いところで、選手が走っているのだろう。
すると、2台の白バイ、テレビの中継車、自衛隊のジープなどが一瞬博の目に飛び込んだ。あっと思った瞬間、エンジと白の見慣れたユニフォームを着た選手が見えた。
「早稲山大学だ」と父親がいった。
しかし、そのスピードの速いこと。見えたと思った途端、どんどんその姿は大きくなり、大きくなったと思ったら彼のいる地点を通り越して、もう後ろ姿になってしまった。後ろ姿も見る見るうちに小さくなっていく。
「すごい。お父さん。もうあんなに走り去って行ったよ」
思わず父親の手をとりながら、叫んだ。
さらに数名の選手が目の前を通り過ぎた。
急な登り坂とは感じさせないスピードだ。
しばらくすると、今度は一転、これまでとは全く別の光景が視界に入った。
明らかに足取りがおぼつかなく、あごが上がり、身体も左右に揺らせた選手。濃いブルーのユニフォーム。たすきにはブルーの地に白い文字で東洋文化大学と書いてある。
疲れきっているのだろう、アスファルトを蹴り上げる脚力が弱弱しい。そのためスピードが出ない。ほとんど歩いているのと変わらない。歯をくいしばって、身体を前方に投げ出すようにして、懸命に足を前方に投げ出そう、投げ出そうとしている。しかし、足が前に出ない。明らかに身体の調子がおかしい、息遣いの荒さがすぐそこにいる博の耳にも聞こえた。
とうとう、腕を伸ばせば触れることができるくらいの地点で、その選手は完全に歩き出してしまった。やがて歩くこともできず、苦しそうにゆがんだ顔を両手でおさえ、かがみこんでしまった。その場で完全にとまってしまったのだ。
するとジープに乗っている監督とおぼしき人間が降りてきた。
近寄ると、激しい怒声を飛ばした。
「おい! たすきを握れ! たすきを!」
選手は顔を覆っている手を下ろした。そうして、肩から斜めにかけているたすきを握り締めるようにした。
「たすきだ! おまえ、誰から受け取ったんだ! 明日、誰に渡すんだ! 待っている奴がいるんだぞ! がんばれ!」
すると、驚くべきことが起こった。うずくまっていた選手は、しばらく目を瞑っていたが、勢いよく顔を振り上げた。歯を食いしばって、立ち上がった。そして、また走り出したのだ。監督が、選手の横に併走した。いっち、に、いっち、に、と掛け声をかけながらゆっくりと走り出した。2人の姿はだんだんと、だんだんと小さくなっていった。
博はハッとした。
言いようもない感動が身体を包み込んだ。
つづく・・・