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社長の条件と軌跡

『社長の条件』二代目社長になってみたものの・・・

 2017.05.17 

 二 社長にはなってみたものの

 

 高畑は、杉浦に手紙を書いたその日、高畑建設の社長に就任することを母親に告げた。母親は喜んだ。

「ありがとう。お父さんがこうなった以上、博が社長をする以外ないと思っていたの。実は、会社の社員も不安がっていたし、みんな博が社長を務めてくれればと思っていたのよ。でも、博は箱根駅伝に出るために、あんなに努力していたのをお母さんは知っているから、どうしても、お願いできなかったの。夢をあきらめてくれとは母さん、言えなかったわ。それを博、あなたの口から言ってくれて、うれしいわ。本当にありがとう」

 しかし、高畑は社長になるとは言ったものの、現実的にどう振舞えばいいのか、想像もできなかった。それに、不安だった。

高畑は会社の社員はみな知っている。子どものときから何かとかわいがってくれた人ばかりである。そういう人たちに囲まれて仕事をするのは、気持ち的には楽なところがあるが、一体会社とはなんなのか、社長とはなんなのか。基本的なことをまったく知らなかった。

 いざビジネスの世界で、社長として活動するには、高畑はあまりにも、世界を知らなさすぎた。社員を掌握できるか。自分には社長を務め上げることができるか。

 高畑は不安でおしつぶされそうになるが、事態は風雲急だった。

 高畑が社長に就任することを母親が古参社員たちに伝えると、それならばなるべく早く就任してもらいたい、と母親を通して要望してきた。自分たちが最大限バックアップするので、明日にでも社長として仕事をしてもらいたいというのだ。

 社長不在が長引くと、これからの経営に大きな影響をもたらすということだった。

 高畑は、もう仕方がないと観念した。

 親父が一生懸命心血を注いだ会社をつぶすわけにはいかない。

 もうやるしかない。

 翌日には、一張羅のスーツを着て、会社に出社することにした。そして、正直に次のような挨拶をした。

「皆さん、高畑博です。父・高畑義男が突然病に倒れ、代わりに社長を務めさせていただくことになりました。一生懸命務めさせていただきます。

 しかし、私は父親の抜けた穴を完全にうずめることはできません。皆さんも混乱されていると思いますが、正直に申しまして、実は僕も混乱しています。私は建設業界のこともほとんど知りません。ただ、私は身近に父の働く姿を目にしてきました。父親の気持ちの部分だけでも踏襲し、しっかり理解して仕事に励むつもりです。

 とはいえ、私は皆さんのお助けが必要です。高畑建設の危機を、皆さんとともに突破していきたいと存じます。なにとぞよろしくお願いします。お力をお貸しください」

 社員たちは、みんな拍手をした。

 握手を求める社員もいる。思わず目頭があつくなり、ハンカチで目を押さえる社員もいる。実際に社員と触れ合って、高畑は社長としての自覚を強く感じた。

(僕も不安だが、みんなも不安に違いない。みんな親父が大好きだというのは知っている。長年親父につかえてきてくれた人たちだ。病に倒れたということだけでも、社員の精神的ショックは大きいだろう。なんとかこの人たちのためにも、会社をつぶさないぞ)

 高畑は、その日から精力的に働いた。父親の下で働いていた番頭さんから、社長としての仕事のあらましを聞き、さらに各方面へ挨拶に向かった。高畑は、その数々の訪問先で、改めて父の大きさを感じた。これだけ、父親がいろいろな人から愛されていたのか。

 みんなビジネスの世界を超えて、父親が病気に倒れたことを心から残念がった。父親の愚直な仕事振りが好きだったといって、涙を流す人までいた。

 そして、みんな必ず、「父親のためにも、あなたがしっかりと会社を発展させなければいけないぞ」という励ましをもらった。

人の温かさを心から感じた。

 

 高畑は社長業という道を懸命に走り始めた。

 古参社員の言うとおり、アドバイスどおりに走り続けた。

 かつて杉浦のコーチングをたちまち呑みこんだ「呑みこみのよさ」が、ここでも発揮された。がむしゃらに突進するという天性の資質もプラスに働いた。

5ヶ月も経つと、仕事の段取りを覚えた。顔つきも変わった。

 ただ、悪い兆候もでてきた。

(なんだ、簡単じゃないか。俺でも容易にできるじゃないか)

 そう思うようになったのだ。これは危険な兆候でもあった。

 そうして、心の底で、仕事に対してなめてかかる自分を時々感じるようになった。

 なめるくらいならまだいい。皮肉なことに、仕事が順調に行けばいくほど、どういうわけか、今度は物憂さを感じてきた。

 社長に就任したころのひたむきさが影をひそめてきた。

 それは社員の誰にも分からない、高畑の影の部分だった。

確かに高畑は仕事も順調にこなす。行動的で、バイタリティーもあるし、性格が明るいので、人に好かれる。

 表向きには、高畑は青年社長としてはつらつと日々を過ごしているように見えるが、内心はつまらないという思いが積もり積もってきた。

自分が打ち込めるような仕事ではないな、という思いが根底にあった。すべてを投げだして、箱根を目指していた彼にとって、問題は、この仕事がいかにも簡単すぎるということだった。そうして、少し前の、陸上に打ち込んでいたときの、必死さを、懐かしく思い出した。

夢は大きいほどすばらしい。これが高畑の信じる哲学だった。

懸命に努力しなければ到達できない夢だからこそ、努力のしがいがある。

だからこそ、高畑はすんなりと仕事を、社長業をこなせばこなすほど、自分の人生はこれでいいのかと悩むようになっていたのだ。

 もちろん普段はこの後ろ暗い、陰の部分は消している。けれどもふとしたとき、陰の世界で足ぶみしてしまうことがある。どうしても抗うことができない鬱積が積もり積もって、動けなくなる。

 高畑は自分は創業者ではないからだ、と思った。

 それが自分と親父の大きな違いだな、と感じた。

 父親は社長になることを選んだ。しかし、自分は選び取ったわけではない。したいと思って入り込んだ世界ではない。せねばなるまい、という義務感から入った世界だった。むしろ死んでもやりたいと思っていたことをあきらめて入ってきたという思いもある。

 父親は創業者だ。なるほど、信念をもって仕事をしていた。

 お客様第一主義、家づくりへの思い。

 しかし、自分はそういうことが本当に大事なことか、つきつめて考える間もなく、社長に就任した。いや、考えても、自分は100%父親の考えに同調できなかっただろう。

 自分と父親は、親子でも同一ではない。こだわる部分に違いがあって当然だ。父親と同じ信念が俺になくても、おかしいことではない。

 自分は親父がやってきた仕事だから、という理由だけで社長の座についた。

 そうして社長になってから徐々に出てきた心の余裕が、高畑を一層不安にさせたのだ。

 

 一番我慢がならないのは、父親が掲げてきた経営方針だった。どうしてもこれを好きになれなかった。単なる理想主義的な言葉にしか思えなかった。

 また、それをかたくなに守ろうとする社員の存在も、気になった。

 社員はいつも

「お客様を大事に」

「お客様の要望にこたえる」

「お客様の住みたい家をつくる」

と言う。お客様、お客様、お客様、お客様、お客様・・・。

 なんだ、人に仕える卑しい根性が染み付いて。もっと儲けたくないのかと思った。

 ベクトルが「自分」に向いていない。

 仕事をしながらキャリアアップをしようという意欲も感じない。

 成長しようという意思も感じられない。

 一心不乱に箱根を目指してきた高畑にとって、これは許せない人生態度に思えた。

 成長をあきらめた段階で、待っているのは停滞だけだと思った。

 しかし。

とりあえず、そういう態度は見せないように気をつけた。

 

 不満は社員にばかりではなかった。

 自分が行う営業の仕事にも不満を持っていた。営業は基本的に父親がやってきたことを、社員に教わったとおり、そのまま行っている。しかし、父親のやってきたのは、営業といってもそれは名ばかりのものに思えた。親父は一体、毎日あんなに朝早くから、遅くまで何をやっていたのか。

「博君。うちも新しい家を建てたいんだけどさ。話を聞いてくれないか」

「ありがとうございます。どういう家を建てたいんですか」

「それなんだが、百年は持つ家をつくりたいんだ。お父さんはよく寿命の長い家をつくりたいっていっていたよ」

「百年!」

「百年住んで、寿命がくれば、その家は、おのずと大地に還っていく。そんな家をさ」

「え、大地に」

「そう、どうかね」

「はあ。具体的にはどういう家でしょうかね」

「それなんだが、まあ急いでないからね。10年くらいかけてゆっくりと考えるつもりだからさ。時々相談にのってよ」

 こんな世話話を交わすだけのあいさつ回り。冗談の与太話だと理解しても、出てくるのはため息ばかりだ。みんな、俺を馬鹿にしているんじゃないか。

 営業とは、お客さんにテクニックを駆使しながら、必死に売る。そこにはお客さんとの心と心のぶつかり合いもあるはずだ。そういうことはいろんな本にも書いてある。

 しかし、そんな営業はうちでは全く行われない。愛想を振りまいて、仕事をもらう。実力を試す機会なんてなんもない。付き合いだけで受注が発生する前近代的な世界だ。

 日に日に高まるのは、やるせなさだった。

なんで俺はこんな仕事をやっているんだ。なんでうちの社員は、会社を発展させたいと思わないのか。利益の薄い客の要望ばっかり聞いたって、儲けられないよ。あいつらと俺は価値観が違うんだ。

いつもと同じことを、延々と頭の中で考える。

 それよりも、俺はもっと大きく勝負に出たい。心が震え上がるような、どきどきした緊張感の中で事業をやりたい。会社の成長、事業の拡大という目標に、社員みんながベクトルを合わせる。自分が陣頭指揮をとって、限界まで働く。働かせる。そうして思いっきりお金を稼ぐ。

 そういう経営を俺もしたい。いや俺がやることこそふさわしい。

 一度雑念がよぎると、なかなかそこから離れられない。思い始めると一直線の性格がかえって災いした。どんどん現実を受け止められなくなる。現実から遠く離れてしまう。

 先代の方針が足かせになっている。どうしても自分の経営ができない。もどかしくって、もどかしくってたまらないという思いがした。

 

 確かに、こう高畑が考えても、無理のない話だった。時代はバブルの時代に突入しようとしている時期だった。

 1986年。この年をはじめとしたそれ以後の4年間。日本は好景気に活気づいた。異常なほどの株式や土地の値上がり。消費活動も活発になり、高価なゴルフ会員権を、一介のサラリーマンが軽い気持ちで借金をして購入し、芸術に興味のない資産家が、絵画作品を買いあさっていた。

庶民も、こぞって土地を購入し、新築を建てた。企業も広大な土地に、背の高いビルを建てた。その恩恵をもっともっと高畑建設は与ってもよさそうなものだと思った。

 時代は金、金、金の世界。まさにジャパン・アズ・ナンバーワンだったのである。価値観は金で染め上げられ、経営とは金をどのように儲けられるかを意味していた。

 高畑は若すぎた。

自分の仕事が、高畑建設の経営が、いかにもまじめくさった、カマトトくさいものに見えても、仕方がないのだった。

 高畑は、いずれ高畑建設を大改革しようという思いがあった。

いまはまだ、父親の存在が社内で大きすぎる。まだ早い。まだ俺も演技を続ける必要がある。しかし、もうちょっと待っていろよ。準備ができた段階で、新しい高畑建設をつくるぞ。

そのためには、自分の片腕となる人材がほしいな。

そうだ、あの人しかいない・・・。

 

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