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社長の条件と軌跡

『社長の条件・軌跡』 大きな挫折2!更新しました

『社長の条件・軌跡』 大きな挫折2! 2015.02.05 

杉浦は学生陸上界の宝だった。だった、というのは、それはもう過去の話だからだ。

 杉浦は中学、高校といつでも全国トップクラスの成績だった。高校は名門、佐久信州学園。インターハイでは、5千メートルで圧倒的な1位。高校生記録を打ち立てた。

 京都で行われる全国高校駅伝では3年連続花の1区で、3年連続区間賞。気の早い連中は、彼が23歳で迎えるソウルオリンピックでは日本のエースとしてオリンピックに出場するだろうと、順調な成長への期待を込めて予測した。多くの雑誌、テレビがこぞって彼を取り上げた。

 1年生からすぐに、東洋文化の1軍に抜擢された。いままでにない快挙だった。入部当初から歴史を変える男としての条件を兼ね備えていた。

 しかし、歯車が狂った。

 狂わせたのは箱根駅伝だった。1年生ながら3区に抜擢。

 監督の計算では、1区の山田、2区の遠藤。どんなことがあっても、確実にここでトップになっているだろう。3区の杉浦で、確実にその差を広げて、前半で勝負を決めてしまう。杉浦はその作戦の最後のダメを押す役割だった。そのことは杉浦もしっかりと理解していた。

「まあ、お前は安心だ。いつもどおり走ってくれや」

「分かっていますよ。言われなくても」

 ところが事件がおきた。1区の山田は予想通り、トップに躍り出た。しかし、遠藤の調子が悪く、2人に越された。杉浦が待つ、3区の中継所では東洋文化大学は3位、しかもトップからは、3分の差をつけられていた。東洋文化大学の逃げ切り作戦は大きな変更を余儀なくされた。

 彼は遠藤からたすきを受け取ると、猛烈な勢いで駆けた。

 監督の怒声が響く。

「おい、入りが速すぎるぞ。スピードを落とせ」

(大丈夫ですよ。おれは天下の杉浦ですよ。ものが違うんですよ。ここで驚くべき記録を出して目立ってやる)

 杉浦は、3キロ地点で2位に、そして5キロ地点でトップに立った。3分の差を5キロで挽回する。これは明らかにスピード・オーバーだった。しかし、杉浦は多寡をくくっていた。

 しかし地獄の穴が残り3キロの地点で大きく開いていた。いきなり足がスムーズに前に出なくなった。身体も左右にぶれてきた。

(やばい。しまった)

 遅かった。身体が動かない。たちまちトップを明け渡し、そしてすぐに3位に落ちた。懸命に駆けるが、勢いがでない。意識が朦朧として、まっすぐに走ることさえできなくなった。

 あとはもう落ちる一方だった。限りなく遠いゴール。最終的には14位にまで順位を落とした。

(何かの間違いだ)

 突然の大きな挫折。それまでの陸上人生があまりに順調すぎたから、なおさらショックが大きかった。

 立ち直れなかった。タイムを伸ばせないどころか、高校生のときよりも悪化する始末になった。ついに昨年の箱根駅伝には選手に選ばれなかった。

 いまは、なんとか3軍に在籍しているが、もう、杉浦は終わったと話す部員も多かった。だが、杉浦はあきらめていなかった。日常生活でも練習でも、明るさ、快活さを保ち、じっと機会を待った。焦らなければ、必ず立ち直りのきっかけがやってくる。それを信じていた。

 ようやく光明が見えた。そのきっかけが高畑だった。

(あの強靭な精神力、粘りと意思は、俺にもあるはずだ。俺ももう一回がんばってみよう。高畑に負けないぞ)

 それからの杉浦は、前にも増して練習に打ち込んだ。

朝練も夜の練習も高畑とともに取り組んだ。

だんだんと、昔の感覚を取り戻してきた。ひたむきの気持ちも戻ってきた。そのせいか、タイムも目に見えてあがってきた。自己タイムに近いタイムを連続で出し、再びエースの階段を上がり始めたようだ。たちまち2軍、1軍とランクも上がった。

 杉浦は、タイムが向上するにつれ、さらに高畑に感謝した。高畑が存在しなかったら、自分は変わることができなかった。そう思うと、なおさら高畑への感謝の気持ちが深くなった。

 一方の高畑は相変わらず、成績は上がらなかったが、毎日の練習はさらに充実していた。一途に坂の上の雲を追いかけようと必死に努力をしていた。

 このころ、高畑と杉浦は、先輩・後輩の垣根を超えて、互いが互いを信頼し、なんでも話すことができる、無二の親友、真の兄弟のような関係になっていた。

 

 練習が終わると、高畑と2人はよく話をした。

 高畑の箱根駅伝を目指すようになったきっかけ、それから一心不乱に夢を追い続けて練習をしてきたこと。これらを杉浦は詳しく聞いた。なおさら、杉浦は高畑とともに箱根駅伝に出たいと思った。高畑こそ、箱根に出なければならない人間だとさえ思った。

 ただ、杉浦には心配があった。高畑はこれまでしっかりとした指導者についていない。しかも、大学の陸上部に入ったいまでさえ同じ状況だ。4軍の部員を丁寧に見てくれるほど、この陸上部は甘くはない。根性だけは誰にも負けないのだが、実力はそれほどでもない。

 このままでは、高畑は箱根駅伝どころか、数ヵ月後にはマネージャーに転進しなければならなくなる可能性もある。

 杉浦は高畑の指導役を申し出た。

「高畑。一緒に箱根に出よう。一緒にがんばろう。しかし、いまのお前では無理だ。フォームがおかしいし、直さなければいけないところが、たくさんある。そこはおれが指摘させてもらうぞ」

「はい。ありがとうございます」

 杉浦は改めて高畑を走らせ、併走しながら、改善すべき点を厳しく指摘した。

「高畑、右の腕の振りが弱いんだ。それだと苦しくなったとき、足がついていかないぞ」

「あごを引け」

「猫背になりすぎているぞ」

「右足が横に流れているぞ。しっかりしろ」

「苦しいときほど、腕をふれ。地面を蹴り上げろ」

「そんなことじゃ、箱根に出られないぞ」

 

 7月になった。東洋文化大恒例の地獄の夏合宿の季節だ。約1ヶ月、青森県のとある村の総合運動公園で行われる。

 この合宿の目的はひたすら走ることに尽きる。あたりには、練習施設のほかは豊かな自然ばかりで、遊ぶ施設は何もない。

 1軍も4軍も関係なく、炎天下の中、自分の限界以上の力を発揮することで、自信を深めるとともに、精神力を徹底的に鍛えあげる。

合宿中に走る距離は750キロ。1日25キロが目安で、落伍したものは、荷物をまとめて東京の飛翔寮に帰らなければいけない非情な合宿だ。

 1年生で毎日25キロもの距離を走るのは相当にきつい。

しかし、高畑は踏ん張った。激しい練習の賜物だった。

 最終日に2学年ごとに記録会が行われた。まず、最上級生と3年、次に2年と1年の順で行われた。

 最初に走った杉浦は、完全に過去の自分を取り戻していた。顔つきにも自信があふれている。一気にトップ集団について、最終的には1位でゴールした。

今年、3度目の自己新記録だった。

 その次が高畑たち1年と2年の番だ。

 杉浦は高畑の方へ近寄って、小声で話しかけた。

「お前は相当に実力をつけている。絶対大丈夫だ。自信を持ってがんばれ」

 レースが始まった。

さすがに疲労が蓄積されているせいか、身体が重い。しかし、日ごろから杉浦に言われていることを思い出し、フォームに気を配りながら、懸命に走った。

 結果は思いもよらず、30分を切る好記録だった。1年生で30分を切ったのは、3名だけ。全体でも15位の記録だった。これにより、高畑はマネージャー予備軍の4軍から3軍に上がることになった。

高畑も杉浦も心から喜んだ。

「このままいけば、2人で箱根駅伝に出場できるぞ」

 夢が、現実になるかもしれない。いや、さらに練習を続ければ、絶対出場できる。そんな思いが2人を高揚させた。

 

 地獄の夏合宿が終わり、東洋文化大学陸上部の面々は飛翔寮に戻ってきた。杉浦たちとその玄関に入ると、寮長は高畑を見つけ、少し前に電話がかかってきたことを告げた。

実家からだったらしい。杉浦は笑いながら言った。

「高畑、実家から電話がかかってくるなんて、珍しいな。お前の方から電話をしてやれよ」

「ええ。その前にちょっとひとっ走りしてきますよ。どうせ、ちゃんと飯を食っているかとか、そういうことに決まっています」

「でも親に電話くらいしておいたほうがいいだろう。お盆は帰るのか」

「いや帰りません。練習をして、もっとタイムを伸ばさないと、選手に選ばれませんから」

「じゃあ、なおさら電話をしたほうがいい。善は急げというからな。俺は部屋に帰っているよ」

 杉浦が部屋に戻って、合宿の荷物の整理をしていると、高畑が入ってきた。

明らかに様子がおかしい。無言で、顔面は蒼白だった。

「高畑。電話したか」

「・・・・・・」

「おい、どうしたんだ」

「・・・・・・。親父の身体の調子が悪く、いまさっき、病院に運ばれたそうです。詳しいことは分かりません」

「なに」

「病院にとりあえず行きます。ただ、僕はどんなことがあっても箱根に出ますよ。先輩、一緒に箱根に出ましょうね」

「当たり前じゃないか。それより早く行きなよ。部長には俺からいっておく」

「はい。わかりました。では」

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